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コースの変遷

1929
(昭和4)年
設計原図
東コース18ホールが完成(設計:藤田欽哉・赤星四郎など創設メンバー5名が分担)。
1931
(昭和6)年
C.H.アリソンが改造を提案。
1932
(昭和7)年
コースレイアウト図
旧西コース18ホールが完成(設計:藤田欽哉)。東洋初の36ホールのゴルフ場に。
1933
(昭和8)年
C.H.アリソン提案の改造工事が完成。
西コースのグリーン(ベント芝)が猛暑により被害を受け、サブグリーン工事を開始。
1935
(昭和10)年
西コース、メイングリーンのベント芝をコウライ芝に張り替え、サブグリーンをベント芝に。
1936
(昭和11)年
大雪により東コースのグリーン(コーライ芝)に大被害が発生。
1937
(昭和12)年
夏・冬季の2グリーン制がコースの気象条件に適して合理的と結論づけた。
井戸による給水を開始した。
1939
(昭和14)年
西コースのサブグリーンが完成し、前年に完成した東コースのサブグリーンとあわせ、全36ホールが2グリーンとなった。
1944
(昭和19)年
東コースの一部を日本鋼管農場に売却。
西コースの一部を軍に供用。
東コース9ホール、西コース9ホールに縮小して運営を継続した。
1945
(昭和20)年
4月にコースを閉鎖。
終戦後ただちに、米空軍により接収された。
復旧工事が開始された。
1946
(昭和21)年
東9ホール、西9ホールの合計18ホールの復旧が完了した。
1950
(昭和25)年
日本鋼管農場に1944年に売却した東コース用地を買い戻した。
1952
(昭和27)年
東コース18ホールの復旧が完了した。(設計監理:井上誠一)。 
米空軍による接収が解除された。
1954
(昭和29)年
新西コース完成で西コース18ホール復旧。(設計:井上誠一)
1957
(昭和32)年
東コース、カナダカップを前に改造工事を実施。(設計:井上誠一)
1986
(昭和61)年
東コースのメイングリーンをベント化。
1993
(平成5)年
西コース改造(グリーンのベント化、9番・10番のレイアウト変更、設計:川田太三)。
1998
(平成10)年
西コースを1グリーン化(設計:川田太三)。
2016
(平成28)年
東コース、全面改造工事(距離延長、1グリーン化、設計:トム&ローガン・ファジオ)。
2018
(平成30)年
西18番にオリンピック用ドライビングレンジと仮設グリーンを造成。

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