Digital Museum

航空写真で見るコースの変遷

1942

霞ヶ関カンツリー倶楽部・航空写真(1942年撮影)

出所:国土地理院(陸軍撮影)

旧西コースの姿を伝える航空写真です。

旧西コースの6番と13番の間には現在は県道があり、6番から12番は今のサイボクの敷地以西にありました。旧コースは9番と10番が倶楽部ハウスから離れた場所にあったため、10番ティーの横に倶楽部ハウス別館が建てられ、9ホールを終えたプレーヤーはここで休息をとったそうです。

別館の建物は、敷地を売却した後も同地に残っていましたが、復元保存のしようがないほど老朽化したため、数年前にサイボクが霞ヶ関の同意のもとで撤去しました。また、10番ティーの前には美しい池があり、この池は現在もサイボクの敷地内に残っています。

現在の西コースは5番ホールを終えると右折して、旧13番から14番にかけての6番パー5を経て、その先は1954年に建設された新西コースとなります。 東コースのレイアウトは、2016年の改造により8番・9番のレイアウトが変更された以外は、現在とほぼ同じレイアウトです。

1948

霞ヶ関カンツリー倶楽部・航空写真(1948年撮影)

出所:国土地理院(米軍撮影)

戦中・戦後の苦難の時代を伝える写真です。

1946年に復旧した当時のコースは、東西あわせて18ホールで営業されていました。
東コース:1番→2番→3番→9番→10番→11番→16番→17番→18番
西コース:1番→2番→3番→4番→5番→14番→15番→17番→18番

東コースでは、14番・15番が畑になっているのが見えますが、4番~8番と12番~15番は戦時体制を乗り切る資金を確保するため、1944年に隣接する日本鋼管農場に売却されて農地化されていました。

西コースも、今の県道以西のホールは戦時中の軍部による徴用につづいて、戦争後は農地化されており、8番~11番が畑になり、7番には農業施設らしき建物があるのが見えます。この土地は農地改革の影響もあってゴルフコースとして復旧することができなかったため、後日売却を余儀なくされることになりました。

その後、東コースは売却した土地を日本鋼管農場から買い戻すことができて1952年に18ホールが復旧しました。西コースは旧西コースの北西にあたる野戸池の周辺地を買収して、1954年に新西コースが完成して、ようやく戦前と同じ36ホールが復活しました。

1956

霞ヶ関カンツリー倶楽部・航空写真(1956年撮影)

出所:国土地理院(米軍撮影)

新西コースが完成して36ホールが復活してから2年後の写真です。

西コースの9番・10番が現在と異なるレイアウトになっています。

この頃は8番を終えると、8番グリーンの左奥にあった9番ティーに行き、比較的短い9番パー4をプレーしました。9番グリーンは今の10番フェアウエイの中にあり、今の10番赤マークのあたりが10番パー4のティーでした。9番グリーンと10番ティーが倶楽部ハウスから離れていたため、その当時は10番ティーの横にあった東屋で軽い昼食を食べていました。

この写真が撮影された年に西コースで初めての日本オープンが開催され、翌年には東コースでカナダカップが行われました。36ホールが復活して、霞ヶ関が日本のゴルフの表舞台に復帰した頃のことです。

2016

霞ヶ関カンツリー倶楽部・航空写真(現在)

出所:自社所有

2016年の東コース改造後の最新レイアウトの写真です。

1956年の写真からは、西コースの9番・10番、東コースの8番・9番が変更されており、また両コースともグリーンが1グリーンに変わっています。

以前の写真と見比べると、周辺の都市化が進んでいるのが良くわかります。

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