Digital Museum

霞の歴史

1946
(昭和21)年
10
東9ホール(1~3、9~11、16~18)、西9ホール(1~6、15、17~18)の合計18ホールが復旧。
1948
(昭和23)年
7
農地化していた旧西コースの一部(6~12番)を売却。
1950
(昭和25)年
2
1944年に売却した東コースの一部を日本鋼管農場から買い戻し、9月に復旧工事を開始。(監督:井上誠一)井上誠一と霞ヶ関
12
会報Fairway誌を10年ぶりに復刊。以後、今日まで定期的に発行されている。
1952
(昭和27)年
3
6年7カ月にわたった米空軍の接収が終了。
9 東コース18ホールの復旧工事が完了。
1954
(昭和29)年
6
新西コース(設計:井上誠一)が完成し、東西36ホールが復活。10月に新西コースの開場式を挙行。航空写真で見るコースの変遷
1955
(昭和30)年
11
2代目倶楽部ハウスが竣工。
1956
(昭和31)年
9
第21回日本オープン開催(西コース、優勝:中村寅吉)。
11
第4回日本女子選手権開催(西コース、優勝:横河初子)。
1957
(昭和32)年
3
カナダカップを前に東コースを一部改造(設計:井上誠一)。
10
第5回カナダカップを開催(東コース、個人優勝:中村寅吉、団体優勝:日本チーム)。日本で初めてテレビ中継され、ゴルフブームを巻き起こした。
1960
(昭和35)年
5
幻の日米首脳ゴルフ(アイゼンハワー大統領と岸首相の来場が予定されるも、日米安保闘争の激化により直前に中止される)。
12
茨木C.C.との提携を開始。東コースをC.H.アリソンが改造、西コースを井上誠一が設計、という共通点が縁となった。
1961
(昭和36)年
4
サム・スニードが来場。
1964
(昭和39)年
5
第6回日本女子アマチュア選手権を開催(西コース、優勝:泉谷珠子)
1965
(昭和40)年
6
第50回日本アマチュア選手権を開催(東コース、優勝:森河伸治)
1967
(昭和42)年
10
ビッグ3インジャパンを撮影(東コース、TBSテレビ、出演:アーノルド・パーマー、ジャック:ニクラウス、ゲーリー・プレーヤー)
1969
(昭和44)年
6
倶楽部内の幼稚園(キンダーハウス)を開園、キャディーの福利厚生の向上を図る。
1971
(昭和46)年
8
日本ジュニア選手権の霞ヶ関での開催を開始。以後現在まで毎年開催中。
1972
(昭和47)年
10
西コース内を横切っていたバス道路がコース外に移転された。
1974
(昭和49)年
6
第16回日本女子アマチュア選手権を開催(西コース、優勝:山田まち子)
1977
(昭和52)年
6
第62回日本アマチュア選手権を開催(東コース、優勝:倉本昌広)
10
ボブ・トスキのレッスン番組を撮影(西コース、NHK)。
1979
(昭和54)年
10
米 Golf Magazine 10月号世界ベスト50コースに東コースが選ばれる。

ページ上部へ