霞ヶ関カンツリー倶楽部

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倶楽部の歴史/History

解除後の合同契約書に署名する日米理事長

倶楽部の歴史/History

解除後の合同契約書に署名する日米理事長

戦時の苦難、接収、戦後の復旧

1938(S13)~

1938(S13)年のゴルフ入場税の導入、1940(S15)年のJGAによる自粛要請など戦時色は次第にゴルフ界を圧迫し、当倶楽部の活動にもかげりが見え始めた。第2次大戦に突入してまずキャディーが廃止され、1945(S20)年4月、ついに倶楽部の業務停止という事態になった。
同年8月に終戦、9月米軍によって倶楽部は接収され、1952(S27)年3月まで続いた。

1954年発行機関誌より

戦時中の開墾その他で荒れ果てたコースは、米軍接収中も復旧へ向けた作業が行われ、1952(S27)年9月にはまず東コースの復旧工事が完成した。

続いて西コースの復旧が後年の名設計家井上誠一氏の設計管理のもとに行われ、1954(S29)年6月に念願の36ホールズが復旧した。